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中国ドラマ -『蝸居(カタツムリの家)』の台詞


 中国ドラマ『カタツムリの家』からおもしろいと思ったセリフをひとつ紹介してみよう。

 再開発地区に指定されて立ち退きの通知を受けた家の主人が、立ち退き料を貰う手続きに必要だからと、あわてて引き出しから戸籍謄本を探す。現金が手に入るというので、喜び勇んで手続きしようとするのである。それに対して、母親である老婆が息子を止める場面。

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老婆:「他の連中は金を貰って新しい部屋を買おうってんだろうが、あたしらは、金を貰ったからって何ができるのさ?今どき、20平米なんて狭い部屋、用意してくれるもんか。40平米くれるとしたって、郊外の上に、8万から10万の不足分を出さなきゃならないんだよ。おまえ、そんな金、あるのかい?」

嫁:「じゃあ、お母さん、いったいどうしろって…。」

老婆:「引っ越さないのさ。手続きしないで、ただじっと待つんだよ。」

息子:「だけど、最近はあちこちで強制立ち退きされてるっていうじゃないか。死人が出たって話も聞いたぞ。俺ら、普通の庶民があいつらと戦うっていうのか。そりゃまるで、卵が石にぶつかっていくようなもんだ。」

老婆:「試してみるさ。取引するったって、こっちにはこのぼろい部屋があるだけ。他に何があるって?金も学も地位も、手に職も、何にもない。あるのはこの部屋だけ。これがあたしらの唯一の資本ってことだ。
 だけどね、あたしらは卵じゃない。石なんだよ。肥溜めの石積みの石さ。あいつらこそ、あたしら一家のためだけに、つかんだ金を放すなんて真似、しやあしない。たとえ最後になったって、やつらの肉をひとかけ、食いちぎってやろうじゃないか。骨までしゃぶろうというんじゃなきゃ、あいつらだってそれくらい喜んで差し出すさ。
 あいつらにも弱点があるんだよ。あいつらこそ卵さ。あたしらはただここに座って、向こうからぶつかってくるのを待てばいい。」

息子:「そんな…、そんなこと…できるのか?」

嫁:「お母さんはなんてったって、いろんな経験をしてきた人なんだし。まあ、お母さんの言うとおりにしてみましょうよ。」
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 このセリフを聞いて、私はすぐに、村上春樹が、昨年の2月にイスラエルの文学賞“エルサレム賞”を受賞した際語った卵と壁の話を思い出した。
 彼は、システムを固く高い壁に例え、私たち人間をそれにぶつかれば簡単に壊れてしまう卵に例えた。ところが、この中国の老婆はどうだろう?自分たちは卵なんかじゃない、石だと言う。しかも厠の穴の壁を補強するために中に積み上げる石積みの固い石だと言うのである。おもしろいと思った。そう言えば、ロシアの小説に出てくる農民も石のような農民が多い。ノーベル賞の候補になるような小説家の言葉が、必ずしも真理を透徹しているとは限らない。一介の老婆の見識がよりリアルに重みを持って響くこともある。



  下面介绍一下从中国电视剧“蜗居”中我觉得有意思的台词。

  场面是这样;有个小巷里的老房子的房东收到了拆迁的通知。他因为手续方面的需要着急地找抽屉里的户口本。因为他觉得能得到现钞,高兴地积极要手续。他老母亲却阻止儿子去着急地申请拆迁。

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老太太:“人家拿钱去买新房子了,我们拿钱够干的什么呀?现在哪有是造一个20平方米的给你呀。即使给你一个40平方米的,还在郊区,让你贴个10万8万的。你有钱吗?”

儿媳妇:“那妈你的意思是。。。”

老太太:“不搬。不去登记。就这么待着。”

儿子:“可是现在在强迁的多得是。有的地方还出人命了。我们这种平头百姓跟他们斗啊。那不是鸡蛋碰石头吗?”

老太太:“那就试一试呗。你跟人家谈条件的,只有这间破房子。你还有什么?金钱、技术、学识、地位,你什么都没有啊。就这个。这是我们唯一的本钱嘞。
   可是我们不是鸡蛋。是石头。是茅坑里的石头。他们呐,才不会为我们这一家舍得放弃那到手的钞票呢。即使最后啊,我们啃下他一块肉来。只要不动他筋骨,他们还是会愿意的。
   他们有弱点。他们才是鸡蛋呢。我们就坐在这儿,等着他来撞我们。”

儿子:“这,这能行吗?”

儿媳妇:“妈是老江湖。我们就照妈说的去做。”
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  我一听这个台词就想起来了去年2月份村上春树获奖以色列文学奖时讲的“鸡蛋与墙壁”的故事。
  他把体制比喻了又高又硬的墙,把我们人类比喻了碰它就容易弄碎的鸡蛋。但这个中国的老太太怎么样呢?她说她们不是鸡蛋,而是石头。而且是茅坑里的石头。这个话,真有意思。我想起俄罗斯的小说中的农民也像石头的农民比较多。能当诺贝尔奖的候补人的作家讲的话不一定透彻出人世的真理。有时只是个普通的老太太的见识就让人感到更实在更有威信。


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