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福岡県田川郡香春町、福智町、大任町で焼かれる、上野焼(あがのやき)は「文禄?慶長の役」(1592~98年)の際に、加藤清正公に従って帰化した、李朝の陶工、尊階が豊前(福岡県?大分県)藩主の細川忠興候の力添えにより窯を築いたのが始まりとされています。
上野焼は、大名、茶人、作庭家として名高い小堀遠州が選定した、7つの窯に指定されています。俗に言う遠州七窯のひとつです。一時期は、途絶えてしまったかのように見えた「上野焼」ですが、現在では格調高い洗練された形と現代の感覚をたくみに取り入れ、洗練された優美な作品を数多く生み出しています。
サイズ:口径42cm×高さ21.5cm ※サイズは福智町職員が計測したものです。 ※画像は福智町職員が撮影したものです。ご覧になる状況や、ディスプレイの状態等によって、実物と色合いが異なることがあります。 ■上野焼とは■ 上野焼の歴史は、江戸時代前期に、利休七哲の一人、戦国大名細川忠興が豊前国小倉藩の初代藩主に着任した折、朝鮮陶工尊楷(後の上野喜蔵高国)を招き、豊前国上野に登り窯を築かせたことに端を発します。以来、上野焼は茶陶として発展し、後に遠州七窯の一つにも数えられました。茶陶として発展したため、他の一般的な陶器等と比較して軽く薄造りという特徴があります。茶器として名高い上野焼ですが、食器などの生活雑器も充実しています。また、それらの機能美や芸術性から、芸術作品として高く評価されるものもあります。
1983年には当時の通商産業省(現在の経済産業省)から伝統的工芸品に指定されています。 |