吊り橋と書類(夢の話)


 一晩にたくさんの夢を見た。そういう時は、濃密な別の世界に生きて、そこから戻ってきたようで、心が鎮まる。内容は多くを忘れてしまったので、覚えてる断片的な場面だけを記しておく。
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  私は、山道を走る市民大会に参加するために、列に並んでいる。人がやっとすれ違えるような細い山道なので、一人一人、時間を置いて出発していて、早くに参加した人たちはもう道を折り返して戻ってきている。スタート地点からすぐに、吊り橋がかかっていた。戻ってくる子供たちが集団で、こちらに向かってつり橋を渡ってくる。吊り橋には片側だけにしか手すりの縄がない。手すりのないほうに寄って歩いている子供が危ないな、と思う間もなく、一人の子がよろけて落ちた。深い谷へ子供が大の字になって落ちていって、谷底の大きな岩にぶつかったのがはっきりと見えた。あの子はもうだめだ、助からない、と思った。
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  私は、大勢の人と一緒に、何かの書類を公共の機関に提出しなければならない。書類の上には、一枚一枚が大判の収入印紙か切手のようなものがたくさん貼られている。8割がた完成した書類だが、あと2割ほどの部分の書式がよくわからない。完成してる部分は出来合いのものなので問題ない。ところが、後の部分は指示がなく、指示がないということは自由形式でいいのだろうと思って、自分なりに適当に記入した。ところが、隣にいた妹に聞くと、ちゃんと決まった書き方があるのだと言う。妹はその通りに書類を作成していた。私はずいぶん間違った書き方をしていて、それでは受け付けてもらえないだろうと言われる。どこにも指示がなかったのだから仕方がないじゃないか、と思いつつも、もう収入印紙はびっしりと貼られているし、無駄にすることもできず、私は途方にくれる。
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  詩も、夢の話も、正確に、これこれこういう現実の情況が心的に作用してこういう表れになっている、と説明することは難しい。けれど、詩や夢の話を書いて、それを読み返してみると、ああ、今、自分はこういう気持ちでいるのだな、ということが大雑把にかつ抽象的にわかる時がある。
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  以前、子供が湖に沈んだ夢を見たことがある。それを高台から眺めていた私は、子供が必ず浮いてくると信じていた。そしてその通りに子供は浮かびあがった。いつの間にか岸辺に降りた私は、湖からずぶぬれで上がってきたその子を、タオルで拭いてあげた、そういう夢だった。ところが昨晩の夢はそうではない。子供は私の眼の前で谷底に落ち、岩にたたきつけられ、私はその様子からもう助からないと確信したのである。
 />以前の夢と昨晩の夢との間には、その夢を見させた心情に明らかな違いがあるのだと思う。


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