我が家の庭の池に、今年はまだトノサマガエルが現れない。例年5月頃じゃなかったかと思って日記をたどってみると、2008、2009年は五月の二十日前後、昨年2010年は七月に現れている。去年は七月と、遅かったわけだが、現れる時期というより、私が気がつく時期がいつか、ということなのだろう。
まだ姿を見せないトノサマガエルの代わりに、先日、大きな鷺がやってきた。広大なお屋敷の中にある日本庭園に一羽の鷺が優雅に舞い降りたのならば、なかなか風情のある光景となるのだが、やって来た先は、猫の額ほどの庭に座布団一枚半ほどの大きさの四角いプラスチックの桶が埋め込んであるだけの池である。縁日で獲った金魚が7匹、泳いでいた。
気がついて玄関を開けたときには、鷺はとうに屋根の上に上がっていた。
さっきは確かに池の縁に立っていた。今、鷺は、屋根の上をゆっくりと歩いている。屋根の端の方で雀の夫婦が騒いでいる。
「雀の子をねらっているんじゃないか?」
と、父が言った。
「えー、雀の子なんて、食べる?魚しか食べないんじゃない?」
と、私。
父と母と私とで、しばらく屋根の上の鷺を眺めていた。
池を見てみる。池の水は藻の緑に濁っているので、中はよく見えない。でも普段だったらその緑色の中に朱色のぼやけた塊がふたつみっつとうっすら見えるのに、今はひとつの気配も感じられない。表面は緑色のまま沈んでいる。
私は、
「ねえ、金魚、全然いないみたいよ。」
と、言ったが、父は、
「木の下に隠れてるんだろう。」
と、のん気に答えた。(池の真ん中には小さな木の根っこが沈められている。)
園芸用のポットを並べる浅いプラスチックの箱をひっくり返し蓋のようにして2枚並べて池の上にかぶせ、とりあえずの防護策とした。
一時間ほどした後、居間でテレビを見ていた父が、あ、また来た、と叫び、急いで外へ飛び出したが、玄関の外に出るか出ないかのうちに、鷺は瞬く間に飛んでいった。
池の蓋にした二枚の箱が全体を覆いきれず、並べた箱と箱の間に隙間があったのだ。今度はもっと大きな箱を探してきて、それをひっくり返して池全体をすっぽりと覆った。
それからすぐまた、鷺が、今度は隣家の一階のウッドデッキの屋根に止まっているのを、父が発見した。父もずいぶんとめざとい。あんなところに、と思って見ていたら、すっと屋根の下をくぐってデッキの中に入っていったそうだ。父が、あっと、思って駆けつけたときにはもう遅い。
ウッドデッキの奥には水槽が置いてあって、やっぱり金魚を飼っていたそうだ。私たちは、そんな奥の方までよく入ったねえ、大体そこに金魚がいるってどうしてわかったんだろうねえ、と言いあった。
隣家では、四匹のうち二匹がやられた。
我が家の金魚は結局、一匹しか残っていなかった。
「すぐそこに、川があるのになあ、今、鮎の小さいのがたくさんいるぞ。」
と隣家の主人は首を傾げたが、私は、そりゃあ、はしこく逃げる小さな鮎を捕まえるより、逃げ場のない狭い水槽の中をつつくほうが、よっぽど楽だろう、と思った。
母が近所のご婦人にこの話をしたところ、そのお宅では数年前までご主人の趣味で庭で何百匹もの金魚の稚魚を孵し育てていた、それを鷺がひんぱんに獲りにやってくるので、ご主人が頭に来て、とうとう捕まえたそうだ。その後、生け捕りにしたその鷺を動物園に持っていったら、獲ってはいけない鳥だと、大目玉を食らったんだそうだ。