前回からの続き。
日本の詩歌に欠かせないのが花鳥風月です。どどいつにももちろん四季折々の情景に細やかな心情を重ね合わせた句が数多くあります。いえ、数多くどころか、『どどいつ万葉集』によれば、「古典都々逸に一番多いのはやはり四季有情」だそうです。
春夏秋冬それぞれの季節から2句ずつ選んでみました。
[春]
君は吉野の千本ざくら 色香よけれどきが多い
春はうぐいす何着て寝やる 花を枕に葉をかけて
[夏]
土手の蛙のなくのも道理 みずにあわずにいるからは
分かりゃ二た根の朝顔なれど 一つにからんで花が咲く
[秋]
泣いていたのかうつむく萩を 起こしゃこぼれる露の玉
父よ父よとなくみの虫は こずえ力に秋の風
[冬]
じみな恋仲まことと诚 雪の白鷺ゃ目に立たぬ
不二の雪さえとけるというに 心ひとつがとけぬとは
美しい情景が目に浮かぶような句が好きです。
花を枕に葉を掛け布団にして寝るうぐいす、なんてかわいらしいんでしょう。
うつむく萩をぽんとはじいたら涙のような露がぷるるんとこぼれる、可憐ですね。
色鮮やかに燃えあがる人目につくような派手な恋とは違う、雪の白鷺が冷たく澄み切った空気の中に凛と佇むような地味な恋、けれど诚の恋、素敵です。
蓑虫が「父よ、父よ」と鳴くというのがかわいいと思ったのですが、どうもその言い回しはどこかで聞いたことがあるような気がしてなりません。それで調べてみたら、枕草子でした。
蓑虫、いとあはれなり。 鬼の生みたりければ、親に似てこれも恐ろしき心あらむとて、親の怪しき衣(きぬ)引き着せて 「今、秋風吹かむ折ぞ、来むとする。待てよ。」と言い置きて逃げて去(い)にけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月(はづき)ばかりになれば、 「ちちよ、ちちよ」と、はかなげに鳴く、いみじうあはれなり。枕草子以降、日本では、親に捨てられた鬼の子の蓑虫は秋になると「ちちよ、ちちよ」とはかなげに鳴くのです。
次回は現代どどいつです。