村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』にこんな話が出てくる。(小説の中のお話なので、もちろんフィクションです。)
戦時中、中国大陸の新京動物園にて、戦局が厳しくなる中、猛獣の処分を命令された日本人の中尉が、兵隊たちを引き連れて動物園へやってきた。しかし薬殺用の薬もないまま、彼らは動物たちをどう殺したらいいかわからず、四苦八苦しながら、かなり手際の悪いやり方でやっと処分を終える。
ひと息ついた日本人の獣医に向かって、中国人の雑役夫が、こう言います。
彼らは獣医に言った。先生、もし死体をそっくり全部譲ってくれるなら、我々があと始末をいっさいひきうけてあげよう。…(略)…今となってはもう遅いけど、ほんとうは頭だけを狙って撃ってほしかったよ。そうすれば毛皮もいい値段がついたのにね。これじゃまったく素人の仕事だ。はじめから俺たちにまかせてくれれば、もっと要領よく始末してあげたのにさ。獣医は結局その取引に同意した。任せる以外にあるまい。なんといってもここは彼らの国なのだ。
やがて十人ばかりの中国人たちが空の荷車をいくつか引いて現れ、倉庫から動物たちの死体をひきずりだしてそこに積みこみ、縄でくくり、上からむしろで覆いをかけた。そのあいだ中国人たちはほとんど口をきかなかった。表情ひとつ変えなかった。積み込みが終わると、彼らは荷車を引いていずこへともなく去っていった。動物たちの重みで、古い荷車はあえぐような鈍い軋みを立てた。それがその暑い午後におこなわれた動物たちの――中国人たちに言わせればきわめて要領の悪い――虐殺の終わりだった。…
“きわめて要領の悪い虐殺”の終わりに困惑を感じる日本人獣医と、てきぱきと要領よく黙々と現実を処理していく中国人、この場面が強烈に印象に残っています。
そして、この話に象徴されるような中国的気質、逆から言えば日本人の弱点というのが、私が中国に(中国人に)魅かれる原因のひとつなのかもしれない。