暴力について

 
 幸いなことに私は生まれてから今まで暴力を受けるような状況に曝されたことがない。
 圧倒的な暴力を見たり聞いたりするとすごく怖い。善良な市民が突然襲われる。拳で、棍棒で殴られて血を流す。想像しただけでぞっとする。拷問も怖い。ちょっとでも拷問されたら、信念などあっという間に吹き飛んでしまうと思う。
 それでは、声高に“暴力絶対反対”と唱えられるかどうかというと、これもまた自信がない。なぜなら、暴力は外からやってくるだけでなく、自分自身の内側からも生み出されるものだからだ。
 自分自身を振り返ってみると、自分の正しさが相手に通じなかったり、自分が不当に虐げられていると感じたり、言葉による主張が封じられたりすると、怒りがふつふつと湧き上がり抑えきれないほどに膨らんで、相手や周囲の人間を叩きのめしたくなる。そういう感情を抱いたことがある。
 時が過ぎてみると、あの時どうしてそういう感情を抱いたのか、自分の中にどうしてそんな激しい怒りが熟成され得たのか、疑問に思う。けれどその時の感情の血生臭い感触は今でもありありと思い出すことができる。そして思い出すたびに苦々しく思う。
 個人の感情ならば抑えることができる。自分の意思や周囲の助け、環境によって。けれど私がかつて感じたような激情が大众規模で巻き起こったとしたらどうだろう。激情の渦が個人ではなく、集団や組織をまるごと侵食してしまったなら、個人はそれにどう抗えるだろう。


 

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