政府・民主党会議は11日の会合で、永住外国人に対する地方参政権(選挙権)付与法案を通常国会に提出することを決定した。
これに対して、国民新党代表の亀井静香氏は12日の記者会見で次のように述べた。
「憲法の精神の面からも参政権は慎重に扱うべきだ。参政権が得たい人は帰化すれば済む。帰化しやすくすることを考えればいい。」
どう考えても亀井氏の発言内容が真っ当で理にかなっていると、私はそう思う。だからどうして民主党が外国人参政権を実現させたいのか、そこのところがよくわからない。63万人の永住者たちからの、参政権を得たいという強い要望が原動力となっているのだろうか。それだけだろうか。なんとなく奇妙な気がする。
一方で、村上春樹のインタビュー記事の言葉を思い出した。
「日本人や日本人をどう意識しているか」という記者の質問に対して、村上氏は「日本人というくくり方をするより、この日本という場所に住んでいる人々が、どう生きていくのが一番いいだろうと考えている。…」と答えている。(2009年6月18日読売新聞)
この言葉を反芻するとき、日本の政治は日本国籍を有する者によって決定されるべきだという私の了見はとても狭いんじゃないかと思ってしまう。日本人という枠組みではなく、日本という場所に住む人々が日本の政治に関わることが必要なのだろうか。でもそうだとすると、国家という概念から考え直す必要があるんじゃないか。村上氏の言うように日本という国をある境界線に囲まれたひとつの地理的な区域と見るのか、それとも、政治的、社会的、文化的に統一されたまとまりとしての抽象的概念であるとみなすのか。もし仮に外国人に参政権を付与しようとするならば、国家とは何かという根本的な問題から検討しなおす必要があるのではないかと思う。