遣唐僧「円仁」の石版、中国で確認…直筆かも

盈盈一水间,脉脉不得语。涓涓细流过,静静万物洗。
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遣唐僧「円仁」の石版、中国で確認…直筆かも

7月10日10時24分配信 読売新聞

 平安時代前期の天台宗の高僧、円仁(えんにん)(慈覚大師、794~864年)とみられる名前が刻まれた石板を、国学院大栃木短大の酒寄(さかより)雅志教授(日本古代史)らが、中国河南省登封市の法王寺で発見したことが、わかった。

 中国で、遣唐使の足跡を示す史料が確認されるのは、文献以外では2004年に発見された井真成(せいしんせい)の墓誌に次いで2例目。

 石板は、同寺のお堂の一つを囲む外壁にはめ込まれていた。大きさは縦44センチ、横62センチ。道教を信仰する皇帝・武宗による仏教弾圧「会昌の廃仏」(845年)の際に、寺の宝だった仏舎利を守ろうと地中に埋めて隠したことが記された後に「円仁」の文字があった。同寺刊行の出版物に石板の存在が書かれているのに、酒寄教授が気づき、今月、現地を訪れて確認した。

 酒寄教授によると、当時の中国僧の名を記した文献に同じ名が見当たらないことや、円仁の旅行記「入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)」の記述から、845年に同寺周辺にいたとしても矛盾がないことから、「円仁の可能性が高い」としている。文字の書体が円仁本人の他の文書と似ていることから、「直筆の可能性もある」という。

 円仁は、遣唐使船で838年に唐に渡って847年まで滞在。天台教学を修め、廃仏政策によって長安を追われた。多くの経典を持ち帰り、帰国後は比叡山延暦寺の興隆に努めた。

 酒寄教授は「困難な状況の中で、舎利を隠すのを手伝う円仁の、徳の高さを示すもの」と話している。
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