前回、中国ドラマ『カタツムリの家』を、見ごたえがある、とずいぶん褒めた。もしかしたら感想を書くのがちょっと早かったかもしれない。
始めは住宅問題が中心だったのが、だんだん主人公の妹の不倫話が中心になってきた。悪代官に手込めにされた町娘は、物質的な欲望が満たされる快楽にだんだんと身を任せるようになり、自ら進んで悪代官との情事を楽しむようになってきた。
こういうのは見ていて、あまり気持ちのいいものではない。愛もお金で買えるということを否定はできない。けれど、それはとても虚しいことのように思う。金で手に入る愛はつまらないと思う。それはたぶん、愛の価値ある部分は、それを手に入れたという結果ではなくその感情を育む過程にあるからだろう。
上次我写过,电视连续剧“蜗居”有观看的价值。也许我写感想写得太早了。
开始时以房子问题为主的内容渐渐变了以主人公的妹妹的色情事为主了。狗官强占的民女越来越沉溺于很快能满足物质欲望的快乐,她开始愿意享受跟狗官的那些情事。
我看这种场面,心里有一种说不出来的滋味。我不能否定爱情也可以拿钱就能买到,这是事实。可是我觉得那种方法很空虚。为什么用钱能买到的爱情是空虚呢?那是可能爱情有价值的部分不是在于得到的结果,而在于养成其感情的过程。