切り捨てられるのは誰か

 4月13日の朝日新聞より、反貧困ネットワーク事務局長の湯浅诚さんの言葉の一部を抜き書きする。


(引用はじめ)

「1億2千万人が住んでいるこの社会はそもそも複雑なものです。議会制民主主義は、10ある利害をできるだけ切り捨てないようにして玉虫色の結論を出すシステムです。一方で待望されているのは、10の利害から1をとって9を捨てられる強いリーダーですね。しかしそこで切り捨てられるのは誰か。おそらく私たちでしょう。」
「議会制民主主義には改善すべき点が多々ありますが、複雑なものを無理にシンプルにしよう、ガラガラポンしてしまおうという欲求の高まりには危機感を覚えます」

「橋下さんが支持を集めているのは『決めてくれる人』だからで、その方向性は問われません。『おまかせ民主主義』の延長に橋下さんへの期待がある。『あっち側』に期待するか、批判するかの違いはあれど、決定に至るまでの調整を誰かにまかせて、観客のような、評論家のような気分でいるという点では、橋下さんを支持する人たちと社会运動はともすると同じ図式の中にはまりこみかねない。どちらも民主主義の形骸化という意味で問題です」

(引用おわり)


 橋下徹大阪市長が政治の場において何をやろうとしているのか、私にはよくわからない。けれど、今まで日本が効率を中心として邁進してきたこと、そして今経済の低迷とともにその価値観が行き詰まっていること、効率や経済中心でない新しい思想が必要だということ、それらを思うと、今まで以上に効率を求め管理を厳しくすることは時代錯誤に見えるし、本当の改革にはならないだろうと思う。
 少なくとも、教育に“効率”という経済的(企業的)論理を当てはめようとする考え方に、私はどうしても賛成できない。


 
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