山梨县美术馆
http://www.art-museum.pref.yamanashi.jp/
山梨県立美術館
山梨県立美術館 Yamanashi Prefectural Art Museum | |
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施設情報 | |
前身 | 山梨県立美術館 |
専門分野 | 絵画などの美術品展示 |
管理邌? | 山梨県 |
延床面積 | 12,019m2 |
開館 | 1978年11月3日 |
所在地 | 〒400-0065 山梨県甲府市貢川1-4-27 |
プロジェクト:GLAM |
山梨県立美術館(やまなしけんりつびじゅつかん)は、山梨県甲府市貢川の「芸術の森公園」内にある美術館である。同公園は同市中西部の甲斐市寄りに位置し、前を国道52号(美術館通り)が通る。また、同公園内には山梨県立文学館もある。
概要[編集]
「文化不毛の地」と評されていた山梨において、戦後は博物館構想など文化事業振興の気撙?嬖冥贰?1975年(昭和50年)に3期目の当選を果たした田辺国男知事は、山梨県立県民文化ホールとともにかねてより懸案であった同美術館の設置事業に着手。翌1976年(昭和51年)には美術資料取得基金を設立し、山梨県農事試験場跡地に美術館の建設を着工。田辺知事と初代館長千澤テイ治によりコレクションの中心をバルビゾン派の画家とする方針が定められ、置県100周年記念事業として19世紀のフランス画家ミレーの代表作『種まく人』の購入が山梨県議会で承認され、山梨県企業局が通商産業省から電気事業固定資産内の事業外固定資産として絵画購入が許可された。1977年(昭和52年)4月に飯田画廊の仲介でニューヨークのオークションにおいて『種まく人』と『夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い』を落札した。その他に山梨放送社長野口英史の資金援助や山梨中央銀行からの資金寄付を受け、飯田画廊からミレー3作品を購入し、1978年(昭和53年)11月3日に開館した。
『種まく人』、『落ち穂拾い、夏』をはじめとするミレーコレクションやバルビゾン派の画家の作品を収蔵し、「ミレーの美術館」として親しまれている。ミレーコレクションは油絵のほか、水彩画、素描、版画を含め41点を収蔵。その他にクールベ、ターナー、シャガール、ヴラマンクらの作品、山梨県出身の画家や山梨ゆかりの画家の作品なども数多く収蔵している。同公園内にはロダン、ヘンリー?ムーアらのヨーロッパ近代彫刻家の作品も設置されている。また、1988年(昭和63年)から2002年(平成12年)まで行われた「郷土作家シリーズ」をはじめ、山梨県出身の画家に関する多くの企画展が開催されているほか、一般展示室を貸し出して美術振興も行っている。
開館前に、『種をまく人』を2億円で落札購入したことや、同基金以外に山梨県営発電所の売電収益からの購入費支出などに対し山梨県議会で反対意見もあったが、一方で山梨の風土とミレー作品の調和が支持され、好意的に受け入れられている。
1988年(昭和63年)には開館10周年記念事業として、ロイスダールの『ベントハイム城の見える風景』を購入した。2002年(平成14年)に萩原英雄コレクションの一括寄贈を受けて施設の増築工事が行われた。重要文化財の『紙本淡彩陶道明聴松図』や山梨県指定文化財の『絹本著色法然上人絵伝』、『絹本着色五代目大木喜右衛門夫婦像』、『木版丹絵武田二十四将図』などを収蔵していたが、2005年(平成17年)に山梨県笛吹市に山梨県立博物館が開館し、それに伴い担当学芸員の異動とともに大木コレクションなど江戸時代以前の美術資料は同博物館に移管された。
また、同美術館は全国各地から多くの来館者が訪れることも特徴で、1983年度(昭和58年度)の年間入館者数は12万人にのぼり、2006年(平成18年)10月15日には総入館者数1000万人を達成した。
コレクション[編集]
西洋美術ではジャン=フランソワ?ミレーの「種をまく人」「落ち穂拾い、夏」「ポーリーヌ?V?オノの肖像」などミレーの作品群のほかバルビゾン派の画家の作品を数多く収蔵している。
日本近代美術では山梨県出身画家やゆかりのある画家の作品を多く収蔵し、野口小蘋や近藤浩一路、望月春江らの作品が収蔵されている。また、山梨県出身の版画家萩原英雄の作品群や蒐集コレクションの一括寄贈を受けており、常設展では萩原英雄記念室が設けられている。