2007年4月25日——渔翁之利是个碗 (图)

不作修改的第一稿,凌乱真实的第一版
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   报关公司A社于近日正式上市了,上市纪念品是著名的九谷焼き的一个钵。NISHIOKA去大阪参加仪式,领回了这个钵,然后又转送给了我。严格意义上来说,我现在的工作与报关没有任何关连,目前主管这块业务的是顶替了WATABE的NISHIOKA,另外加上后调来的YAMAMOTO,无论怎么说这个钵都应该转送给YAMAMOTO的。好复杂,这个肥缺的油水太多,多个和尚就多个分粥喝的,偏偏我志不在此,反倒成了NISHIOKA的盟友,当然之前他也会把排队等来的“吉野家”大帕子送给我,算是有些革命感情基础吧。
    不过平白无故得了个精美的钵,虽说对YAMAMOTO开始有些尴尬的感觉,不过看了木盒子里的实物后,贪婪的喜悦冲干净了一切不妥
   

   九谷焼の歴史は、江戸時代初期の1655(明暦元)年ごろにさかのぼります。加賀の支藩だった大聖寺藩の初代藩主・前田利治(まえだ・としはる)が、領内の九谷(現在の石川県山中町九谷)の金山で磁鉱が発見されたのに着目し、金山で錬金の役を務めていた後藤才次郎に命じて肥前有田で製陶を学ばせました。その技術を導入し、九谷に窯を築いたのが始まりとされています。

 九谷の窯は1730(享保15)年ごろに突然、閉じられてしまいましたが、原因はいまだに定かではありません。この間に焼かれたものが後世、古九谷(こくたに)と呼ばれ、日本の色絵磁器の代表として独特の力強い様式美が高く評価されています。

  九谷の廃窯から約80年後、加賀藩営で金沢に春日山(かすがやま)窯が開かれ、再興九谷の時代に入りました。春日山窯の木米(もくべい)風、古九谷の再興を目指した吉田屋窯、赤絵細描画の宮本窯、金襴手の永楽(えいらく)窯など数多くの窯が出現し、それぞれに素晴らしい画風を作り出してきました。
 明治時代に入ってからは、九谷庄三(くたに・しょうざ)の彩色金襴手が有名となり、大量の九谷焼が海外へ輸出されました。今日の九谷焼は、各時代の窯の上絵付けの作風を源流に、以前にも増して活発な生産が続けられています。

   

  

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