援助交際という言葉が世に出てから久しい。中高年の男性が女子高校生とお付き合いしたいというのはいったいどんな気持ちからだろう。私は女性で、性的肉体的な側面からの欲求に対する理解にはおのずから限界があるので、精神的な側面での欲求に対する推測に限定すれば、女子高生のみずみずしさ、というのは女性の私から見ても魅力的だ。学校という場で純粋培養された少女のよい特質が社会に出る直前に花開いている。
男たちはお金を出して、彼女たちのみずみずしさを買う。まるで砂漠に迷った人間が水を求めるように。資本主義の世の習いどおりに、いくばくかのお金で彼女たちから水を買う。それで一時、喉を潤すのだ。
彼らは自分の井戸を持たない。少女たちが天性に与えられている彼女たち自身の持ち物である井戸から汲み上げられた水をお金で買う。男たちは何と気の毒なことだろう。そして少女たちは何て優しいことだろう。彼女たちは気付かない。そこに自然にある水を少し分け与えて、そしてその代わりに少々の代価を得るからと言って何の損があるのだろうと思っている。そうして井戸の水は少しずつ清浄さを失い、いつか自分の飲み水を得るのさえ困難になる日が訪れる。