日本そば屋は何故『庵』のつく店が多い?
関東人はそば、関西人はうどんなんていわれてますけど、本当でしょうかね?
もともと江戸期以前にまで遡るとこれらは、完全に『郷土料理』なんですよね。
江戸時代の享保年間(1716―35年)に、江戸浅草に道光庵という草庵があったようです。本山級の寺の末寺の又さらに末寺みたいな小さなものが草庵。
明治維新の廃仏政策で大半は姿を消しましたが、この道光庵の庵主は信州生まれで、坊さんなのにそばうちが得意で、檀家にふるまっていたそうなんです。これが、結構美味いと評判になると、そばを食わせろと寺を訪れる者もあらわれるようになった、とあったので、それ以前はどうだったか調べると、もう、本職の蕎麦屋さんっていうのは、ぼちぼち江戸に店を開いていたようです。
が、この道光庵の評判にあやかって、本職の間で、屋号に『庵』をつけるのが、流行し出したというのがこの話の「オチ」です。
明治以降、前述のように、政府の政策で、本来の「庵」は大半が消えてしまい、蕎麦屋に化けてしまったようなものです。道光庵も明治初期に廃寺になっています。
そ・し・て..........明治以降、人の戒名には院に次ぐ格として、主に禅宗で用いられていた、○○軒や○○庵は殆どつけられなくなったというオマケがあります。
出典・・・日本博学倶楽部の「雑学博物館」に風の知識を混ぜて書き直したモノ.
摘自《風のブログ20080827》