先日、朝起きると、母が言った。
「明け方、猫がみゃーみゃー鳴いててうるさくて眠れなかった。」
「そう?気がつかなかった。」
その日の夕方、どこかから子猫の鳴き声がするのに気づいた。みゃーみゃーと子どもらしく可愛らしく鳴くけれど、よく通る大きな声だ。夕方の喧騒もものとせず、あたりに響き渡る。玄関先まで出てみると、どうも向かいの製材所から聞こえてくるようだ。通りかかった自転車の親子連れが、鳴き声に釣られて塀の内側を覗き込んでいる。たぶん積み上げられた木材の隙間にいるのだろう。私はわざわざ道路を渡っては見に行かなかった。
夕飯のテーブルで、子猫の話になった。
「夕方、猫の声がしたよね。今朝、お母さんが聞いた声でしょう?製材所で飼ってるのかな?」
「まさか!隙間に入りこんで、出てこないんでしょう。」
夕飯後、また猫の声がする。しかし夕方聞いたのと少し方角が違うように聞こえたので、表に出て声のする方向へと歩いてみた。製材所の隣に路地を隔てて紙問屋がある。紙問屋の閉じたシャッターの前に輸送用のパレットが7,8枚積んであって、その間から声が聞こえる。腰をかがめて覗くと、下から2、3枚目のパレットの間で、両手の上に乘りそうな小さな猫があとずさりするのが見えた。白と黑のぶちの子猫だ。猫は、警戒したのか、鳴き声をひそめた。もっとよく見ようと近づくと、さらに後ずさりして奥へと入っていく。みゃーみゃー鳴くのはお腹が空くからではないのか。逃げたらミルクももらえないだろうに。
戻って家族に報告すると、
「いやね、まさか家へ来ないでしょうね。」
「道路を渡らなきゃならないから、大丈夫なんじゃない。」
まだ夜も明けきらぬ午前4時頃、猫の声で目が覚めた。うるさくってしかたがない。みゃーみゃーという声が静寂に響く。眠りを妨げられた苛立ちを抱えながら、よくいつまでもこんな大きな声が出るものだと感心する。
そのうち、子猫の声が、すぐ耳元で聞こえるような気がしてきた。私の寝ている部屋は2階だが、そのすぐ真下の玄関先で鳴いているように聞こえる。いよいよ道路を渡ってきたのだろうか。
うとうとした頭にたわいもないイメージが浮かぶ。
冬の東北、津軽三味線の親子が門付けに廻る。しんしんと降る雪の夜、そちこちの玄関先で悲しげで力強い津軽三味線の音が響く。一夜の宿を得るまで、家々の玄関を廻る三味線の音は鳴り止まない。
そんな妄想を抱きつつ、私はふたたび眠りについた。
朝、母と、猫がうるさかったね、という話をした。すぐ近くで聞こえた気がしたけど、道路を渡って家の玄関のとこまで来たのかな?ううん、製材所に戻ったみたいよ。確かに製材所から聞こえてた。いつまで鳴くんだろうね。どのくらい生きていられるんだろうね。
昼間、隣の家のおばさんと話をした母が言った。
「隣の××さんも猫の声で眠れなくて困ったって。」
××さんは隣のお嫁さんの名前で、もともと神経過敏のきらいがあるので、お姑さんはそれを気遣っている。
「今晩も鳴くといやね。」
しかし、猫の鳴き声はぱたりと止んだ。
力尽きたのだろうか。あれだけ鳴くのなら隠れずに出てくればいいものを。
そこで、はたと思った。ああ、そうか、子猫はミルクを請うて鳴くのでない。母の温もりを求めて鳴くのだ。