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三波春夫 『元禄名槍譜 俵星玄蕃』
http://v.youku.com/v_show/id_XMTQxODkxNjg4.html
↑1999年第50回紅白歌合戦での俵星玄蕃
1999(平成11)年の第50回紅白歌合戦で、私は初めて三波春夫の『元禄名槍譜 俵星玄蕃』を聞いて衝撃を受けた。それまで三波春夫といえば、「お客様は神様です」という名セリフや、大阪万博のテーマ曲「こんにちは~こんにちは~世界の国から~」(『世界の国からこんにちは』)というメロディーや、あとはせいぜい『チャンチキおけさ』くらいしか知らなくて、単純な歌詞に一本調子のメロディーで古臭い歌を歌う人くらいにしか思っていなかった。
それが、1999年の紅白での『元禄名槍譜 俵星玄蕃』を聞いたとき、鳥肌が立つほどの衝撃を受けた。この時76歳、結果的にこれが最後の紅白となり、本人にもそういう予感があったのかどうか、或いは渾身の思いが込められた凄みもあったのかもしれない。
それから『俵星玄蕃』をCDで何度も繰り返し聞いた。
少し前まで年末といえば風物詩のように必ず忠臣蔵のドラマが流されたものだが、最近はそのように共有される日本の文化の形もまたひとつ失われつつあるらしい。私自身は昔から忠臣蔵のドラマにはそう興味があるほうではなかったから、映画なりテレビなり小説なりまとまったものを一度として正式に見た覚えがない。にもかかわらず、不思議なことに、三波春夫の語りを聴いていると、雪の積もった街道を吉良邸に向かって走りゆく四十七士の意気込みや覚悟、日本人の琴線に触れる情緒がひしひしと伝わってくるのだ。
時は元禄十五年十二月十四日
江戸の夜風をふるわせて 響くは山鹿流儀の陣太鼓
しかも一打ち二打ち三流れ 思わずハッと立ち上がり
耳を済ませて太鼓を数え
「おう、正しく赤穂浪士の討ち入りじゃ」
と気づいたのは、俵星玄蕃という槍の名人。彼の道場に夜なきそば屋の十助という男がいた。ところがこの十助、そば屋というのは世を忍ぶ借りの姿、実は四十七士の一人、杉野十平次で、杉野はそば屋に身を扮し吉良の屋敷を探っていたのであった。そうとは告げず稽古に励む杉野の姿に、俵星は並々ならぬ覚悟を感じ、もしや…と思っていた。
そして12月14日の夜、陣太鼓の音を聞き討ち入りを確信した俵星は九尺の槍を手に吉良邸に駆けつける。
俵星は吉良邸で総大将の内蔵之助を見つけ助太刀を申し出るが、内蔵之助はこれを丁重に断わる。と、まさにその時、一人の浪士が雪をけたてて現れた。
「先生!」
「おうっ、そば屋かあ~」
この長編歌謡浪曲の元となったのは忠臣蔵外伝として、ある講釈師が創作した物語、槍の名手俵星玄蕃と四十七士のひとり杉野十平次の物語である。聴肖蟼l星の視点に立つ。はっきりとは知らぬまま四十七士の一人を指南し、一大事のその時に自分の身の危うさも顧みず押っ取り刀で駆けつけて、躊躇なく義の側に味方する。そして、そば屋にあらず実は勇敢なる志士であった男に再会するのである。そば屋との再会に聴肖鈧l星と一緒になって喜び、歓声をあげる。
命惜しむな 名をこそ惜しめ 立派な働き祈りますぞよ
さらばさらばと右左
赤穂浪士に邪魔する奴は何人たりとも 通さんぞ
橋のたもとで石突き突いて 槍の玄蕃は仁王立ち
この俵星の祈りと赤穂浪士の義を外ながら守ろうとする心は、忠臣蔵の物語に共感し浪士たちに深く同情する聴众は俵星の視点に立つ。はっきりとは知らぬまま四十七士の一人を指南し、一大事のその時に自分の身の危うさも顧みず押っ取り刀で駆けつけて、躊躇なく義の側に味方する。そして、そば屋にあらず実は勇敢なる志士であった男に再会するのである。そば屋との再会に聴众も俵星と一緒になって喜び、歓声をあげる。
youtubeの映像は三波春夫が若い頃のもの。
その下のアドレスで1999年の最後の紅白の映像を見ることができる。若いときの方が声にハリがあるし力強くリズムもいいけれど、私はやはり円熟した芸のまろやかさと深みが出ているこの晩年のものがすばらしいと思う。
最後の方、伴奏と歌が合っていない。伴奏が先走っているように聞こえるが、それは伴奏が早いのではなく、私には三波春夫自身がもうすぐ歌い終わってしまうことを惜しみ、このひとつの舞台を慈しむがゆえに、ゆっくりと終わりを引き伸ばそうとしているように見える。芸を追及し芸に生きた一人の男の人生がすべてこの時に集約されているようだ。本物の芸とはこういうものか、と思った。