君が代は千代に八千代に(続き)~言葉の力~

 
 昨日書いたことの続き。
 
 日の丸と君が代、両者はちょっと性質が違うんじゃないかと思う。日の丸は一種の標識なので、その標識としての形や色にどんな意味を付与するかは任意である。ある時代にある標識に貼りついていた負のイメージが時とともに薄れ、新たなイメージがつくられていくことは可能だ。
 ところが、歌には歌詞がある。そこには意味を持った言葉が存在している。日本語に「言霊(ことだま)」ということばがあるように、言葉には本来魂が宿っている。魂を入れずして、口先だけで言葉を唱えることが当たり前という環境の下では、言葉はどんどん力を失っていくだろう。
 言葉のすり替えによって本質をごまかすことは、政治家やマスコミの得意とするところかもしれないが、国家の本質さえもごまかしごまかしやっていこうというのは根底にある歪みをますます大きくする所作だと思う。
 もしかしたらこの歪みは、敗戦後、国体を保持しようとなんとかアメリカをごまかした、その時点から始まって修正されることなくずっと積み重ねられてきたものなのかもしれない。


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