先月18日に、蛍の鑑賞会ツアーに参加してきました。
「私、蛍って、野外で見たことがない。」と何気なくつぶやいたところ、それを耳にしていた母が数日後、偶然にも地元の新聞で蛍鑑賞会のツアーを見つけてさっそく申し込んだのでした。
夕方6時に駅からバスで出発し、揺られること50分ほど、そんなに走ったのにまだ市内です。でも市内とは思えないほど、深い静かな山の中。細い一本道で、車がすれ違うのがやっとです。途中、道路沿いの斜面の下の狭い土地にへばりつくようにして細長い茶畑が続いていました。
バスの中で、妹と話していて気が付きました。
「この辺って、もしかして、お茶に放射能が検出された地区じゃない?」
ツアーに乘っかってきただけなので、自分たちがいったいどの辺りへ行くのか私たちは全く知らずに来たのでした。
その日はあいにくの小雨模様。前方の山々には薄く霧がかかり、上るに従って私たちはその霧に近づいていきます。
「どうしてこんな遠いところで放射能が検出されたりするんだろうねって思ってたけど、こんな山あいの谷だものね、山にぶつかって落ちるのかな。でも、もともとこういうところのしっとりした霧がお茶にはいいんでしょうねぇ。」
妹が冗談めかして
「お土産つきって書いてあるけど、まさか、お茶じゃないでしょうね。」
と言い、私たちは、まさか、と笑い合いました。(なんと、お土産はまさかのお茶でした。実際は、放射能が検出されたお茶の産地は山ひとつ隣でしたが。)
バスを降りて小川沿いの道を大勢でぞろぞろと歩きます。7時前で空はまだ少し明るい。地元の人がスイッチの入っていない懐中電灯を手に道々に立ってツアー客を出迎えてくれています。
いつ、どんなふうに、どんなところに蛍が出るのか、全然予備知識もなく参加したので、歩いていてもどうも蛍が出そうにない雰囲気だと思いました。雨の日は飛ばないんじゃないだろうか。母が道に立っていた地元の人に聞くと、年によってまた日によって蛍の数は違うとのこと、今日はちょっと気温が低いので数が少ないかもしれない、と言われたので、ますます懐疑的になりました。これって全く見られなかったら、どうなんだろうね。
小道の片側には水田が広がっていて、蛙の声が周りの山にぶつかりこだまします。四方八方からゲコゲコゲコと蛙の声が体全体を包み込むように降り注いできます。
蛍を見れなくたっていいや、すごく気持ちがいい。放射能なんてどうだっていいや。この空気は都会の排気ガスよりよっぽど新鮮な気がする。よっぽど体によさそう。この山の霧としんしんと迫る夕闇と蛙の声だけで来た甲斐があったというもの。
とりあえずなるべく上の方まで歩いて、後でゆっくり戻ってこようということになって、私たちはどんどん歩いて行きました。先にいた親子が身を乘り出して川の向こう側を覗き込んでいました。
「ほら、あそこ。いるよ、いるよ。」
小学生の女の子が興奮して叫んでいます。
小川の向こうの斜面の草の中に、青白い光が点滅しているのが見えました。思ったよりずっと強い光でした。青白いというより、緑がかった光です。想像してたのより、ずっと力強い光。確かに提灯が作れそう。
8時近くになって辺りが暗くなると、蛍の数も増してきました。始めの頃は草の上や石の上に止まっていたのが、暗闇が濃くなるにつれて高いところをふわふわと舞うようになりました。ふたつ、みっつ、よっつと、互いに挨拶するかのように交差しながら舞います。見とれて目が離せません。大きな声を出すと逃げてしまうのではないかと思って、興奮を抑えて口を閉じました。
近くを舞っていた一匹の蛍が突然急降下しました。すごい速さで。アクロバット飛行みたいに。ふわふわと曲線を描く姿とあまりにも違う突然の直線的な素早い動きにびっくり。あれは何なのでしょう。何か意味があるのでしょうか。
帰り道に水田の傍らを通ると、水田の上にも数匹、蛍が飛んでいました。緑がかった光が田んぼの平らな水面に映り、上の蛍の光と水の中に映し出された蛍の光が歩調を合わせて舞う様はとても幻想的で、この世のものと思えない光景でした。
蛙の声が相変わらず響き渡っていました。
これは「蛍狩り」ではなく、「蛍鑑賞会」なのですよね。それがちょっぴり残念に思いました。母が子どもの頃、蛍狩りに出かける時は、竹箒を持って行ったそうです。蛍が舞う中に竹箒をそっと差し出すと穂にくっついてくるので、そうして蛍を捕まえたそうです。手のひらに包んでみると、その光をいっそう強く大きく感じたそうです。
蛍の光の中にはいくつか、人間の魂も混じっているのではないかと思いました。
始め蛍は見られないかも、と思ったので、とりあえず蛙の声を録音してみました。ここに蛍は映っていません。あしからず。
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