中学の頃、私は頗る内向的であった。今でも外向的な性格とは言えないけれど、中学生の私は自分の殻に閉じこもっていたのだと思う。
当時、卒業前に各自色紙を用意してクラスメートに回覧し色紙の持ち主に対しメッセージを書く、という慣わしがあった。戻ってきた色紙を見ると、その中に「何を考えているかわからないお人やな。」という言葉があった。耳慣れない関西弁だったせいもあって(私の地元は関西ではない)、その言葉は私の脳裏に焼きついて、いつまでも忘れなかった。
それから10年以上経った同窓会でそのクラスメートに再会した私は、たぶん覚えていないだろうけど、と前置きをしたうえで、彼に色紙の話をした。すると、意外なことに彼は
「覚えてるよ。」
と言った。
「わざと書いたんだよ。」
冷凍保存された中学生の私に貼り付いていた氷がすうっと溶けだしていくような感じがした。外部から切り離されて自分のイメージの中だけで存在していた中学時代の自分という記憶の像が、彼のその言葉によって、“今”という時間と繋がって外部との接触を取り戻したのだ。当時の彼の言葉とそれを覚えていた今の彼の記憶と、それから私自身の記憶とが、他人の視点を取り入れる余裕もなく自分のプライドを保つために必死の思いで維持していた殻の中の自分の姿を立体的に照らし出すことによって、記憶の中に閉じ込められた中学生の私が甦ってほっと息をついたような気がしたのだった。