最近、夏目漱石の『吾輩は猫である』を読み直してみた。昔読んだはずなのに、内容を全然覚えていないことに気付く。そして、こんなに面白いものだったのか、と驚く。風刺とユーモアと哲学と。
後半になるに従って猫の影が薄くなり、寒月と迷亭と独仙と苦沙弥、この四人の会話が中心になると、更に興が増し、哲学問答のようなやり取りの一句一句に夢中になった。しかし、おもしろい、おもしろい、と読み進めていたら、最後、酔っ払って甕に落ちた猫の描写にふいに足元をすくわれたような感じがして、ぞっとした。四賢人とともに言葉を弄んでいたら、急に自分も甕の中に落とされて、どうあがいても縁に手が届かない。まるで、どう言葉を弄そうとも、結局は自己が作り出す観念の外に出ることができず、もがき苦しむ人間のようで。