家族と言うのは近くて遠い存在なのかもしれないと、ふと、思った。
物理的には一番近くにいるのだけれども、私は本当に彼らの何を知っているのだろうと思う。
例えば、恋をしたとき、人は相手のことをより多く知りたいという欲求に駆られる。彼が何を考え、何を好きで、何に関心を持っているか、なるべく多くのことを知りたいと思う。それは相手に近づきたい、ひとつになりたい、という欲求なのだと思う。
ところが、家族にはこれと逆の作用が働く。家族は运命共同体であって物理的な拘束力が働くから、精神的には独立していたいという欲求が生じる。私が私であることを守りたくなる。同時に相手の自立性も尊重するから、相手の領域を侵犯しないことが、一つ屋根の下で暮らす家族の平和や均衡を保つ秘訣になる。
恋する相手にはなるべく壁を取り払おうと努力するのに、家族となると、壁を作って 一定の距離と固定された関係性を保つことが必要となる。恋する相手には人間として相手のすべてを受け入れ受け入れられたいと思うのに、家族に対しては、親子なら親子としての態度、夫婦なら夫婦としての態度、というある固定された関係性に限定されて接する。
こういう感情は中国人には理解し難いかもしれない。彼らにとって、家族とは疑いなく最も近い存在であろうから。
中国人の家族のあり方や、家族への愛情、また家族制度に対する考え方を見たり聞いたりすると、その思想に確固たるものを感じる。全く揺るぎがない。家族という単位が社会を構成する基礎的かつ絶対的な単位であるという認識を、社会全体が広く根強く共有している。中国人の家族制度や家族のあり方に対する懐疑は、今のところ、日本人のそれとは比べ物にならないくらい少ないと思う。
我忽然间想到:家人大概是最近而又最远的存在了。
虽然和他们距离最近,但有时我怀疑自己并没有真正理解他们。
比如我们在恋爱时,会产生要更深入了解对方的愿望。他在想什么、喜欢什么、关心什么,样样都想知道。那是一种想接近对方,甚至与其融为一体的强烈愿望。
然而,对于家人的感情却与之相反。因为与家人是命运共同体的关系,行为举止就会收到束缚,于是希望得到精神上的自由。我觉得,在维护自己独立性的同时,尊重别人的独立性、不侵犯别人的领域,是生活在一屋檐下的家人之间能够和平相处、保持平衡关系的秘诀。
虽然对于恋人要努力消除隔阂,而面对家人则需要筑起防线,保持一定的距离和固定的关系。对于恋爱对象希望能够接受对方的全部,同时也希望自己的全部能被对方接受;而对于家人,父母和孩子之间要保持父母和孩子之间应有的态度,夫妻之间要保持夫妻之间应有的态度,限定于一种固定的相处模式。
这种感情对于中国人来说也许是难以理解的吧。对于他们来说,家人无疑是最近的存在。
我每次看到或是听到中国人对于家庭模式、家人间的爱以及家庭制度的想法,总会觉得这种思想根深蒂固,丝毫无法摇动。全社会都普遍认为而且坚信:家庭作为一个绝对的单位是构造社会的基础。至今,中国人对于家庭模式、家庭制度怀疑的单一,是日本人不能与之相比的。
[此帖子已经被作者 2007-10-7 编辑过]
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