未来を予測するSF小説

 
 アイザック・アシモフという作家の作品が好きで、時々本棚から古い文庫本を取り出して読み返す。私にとって良い本の基準というのは一度読み終わってもまた読み返す気になるかどうかということで、SF小説の短編などは一般に「オチ」があるものなので結末がわかってしまっていては面白くなさそうなものなのに、アシモフの作品はしばらくするとまた読み返したくなる。おそらく個々の作品のストーリーだけでなく、アシモフ的世界観というのが私の嗜好に合っていてそれを楽しむのだろうと思う。

 先日、人の心を読むロボットが開発されたというニュースを聞いた。
 電極のついたヘルメットをかぶった人間が、右手を上げるとか左足を上げるとかなどの動作を頭に思い浮かべると、その脳波が解析されて隣にいるロボットに伝わり、ロボットがその通りの動作をするのである。

 アシモフの短編、「うそつき」というお話の中にも人の心が読めるロボットが登場する。そのロボットは製造過程における何らかの偶然から人の心を読むことができるようにできあがった。ロボット会社の研究者たちは始めその偶然に対して大きな関心を持ち、そのロボットを貴重な研究対象とするのだが、そのうちにトラブルが発生するというお話である。(『われはロボット』(ハヤカワ文庫)という短編集に収録されている。)この「人の心を感知するロボット」というのはアシモフの後の長編作品でも重要なモチーフとして用いられている。

 もともとキリスト教的世界観から見れば、人間が人間を人工的に作り出すのは神に背く行いであって、フランケンシュタイン博士のように、人造人間やロボットを作った者はその報いを受け自分の作りだした存在に復讐されるというのが古いロボット観であった。ところがアイザック・アシモフは、ロボットとは人間が作り出す道具であって、道具である以上絶対的な安全装置を備え付けるのが人間の知恵であるという考えに基づき、「ロボット工学の三原則」を提唱した。それ以降、人間を助ける存在、人間のパートナーとしてのロボットのイメージが定着していったのである。そう、鉄腕アトムのように。

 「うそつき」が書かれたのは、1941年である。そして現在、ロボットは人のパートナーとなるべく、フィクションの世界から抜け出し現実のものとなろうとしている。
 アシモフが未来を予測したのか、それともアシモフたちが創り出したイメージやビジョンを現実のものにしようと人々が努力してきた結果なのか、そのどちらとも言えるのだと思う。


 

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