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中国ドラマ -『蝸居(カタツムリの家)』


 最近、中国の連続テレビドラマ『蝸居(カタツムリの家)』にはまっている。すごくおもしろい!2009年末に中国で放映されて大ヒットになったドラマなので、今ごろ話題にするのは少々流行遅れなのだが。


 大都市に住む大卒出のサラリーマン夫婦が、自分たちの家を手に入れるために、カタツムリの殻のような狭い部屋に住んで節約生活を送る中、理想と現実の狭間で様々な問題にぶつかるというお話である。
舞台はおそらく上海と思われるが、ドラマの中では架空の都市名が用いられている。
 このドラマがヒットしたのは、今の中国の現実をリアルに描いて視聴者の共感を得たからだと言われている。確かに身も蓋もないような現実と本音が次から次へと露になる。しかしこれはただの露悪的なドラマではない。

 主人公の夫婦が住んでいるのはキッチン、トイレ共有の路地裏の集合住宅だが、実は、ここに住む住人の中で彼らは異質な存在である。夫婦は二人とも大卒出のホワイトカラーで、他の住民の多くは中学もまともに出ていないようなブルーカラー。節約することしか頭にない妻に向かって、夫が、「こういうところにいるから、君も他の住人のような小市民になってしまう」というセリフがあった。
 他の住民は、今いる場所を離れて別の広い家を持つことなど、はなから考えていない。昔からずっとその狭い場所に腰を落ち着けてそれなりに暮らしてきた。それで更にそれ以上のものが手に入るチャンスが転がり込むのなら、それに越したことはない、石にかじりついてでもそのチャンスは逃がさない、というシンプルな逞しさを持っている。失って惜しいものは自分の命だけ。大卒出の二人とは根本的に生き方が異なる。
 さきほどの夫のセリフからもわかるように、大卒出の二人にはプライドがあり、夢があり、理想がある。妻の妹のボーイフレンドは「君の姉さんは見栄っ張りなだけじゃないか。分不相応の家のために君まで巻き込まれる必要はない。」と批判する。しかし、妹は姉さんが見栄や面子のために家を欲しがっているのだとはどうしても思えない。
 夫婦の苦悩は、貧しい者たちと裕福な者たちの間で、次第に増えていく中産階級の人々の悩みを代弁している。いい大学を出て、前途洋洋の希望に溢れていた。それなりの給料を貰う仕事に就いた。学問も見識もある。広い世界を思い描くことができ、芸術や政治、世界情勢を語る。そうした能力のある自分たちが脳裏に思い描く手に入れることのできるはずの幸せな家族の肖像を、現実には手にすることができないという焦燥感。
 そして、最も肝心なのは、このドラマが、中産階級であるはずの夫婦がなぜ経済的な問題でこんなにもストレスを抱え、それによって家族の絆や愛情まで破壊されてしまうのか、ということの根本的な原因を、社会や制度の矛盾として描いているという点にある。これは強烈な社会批判だ。

 不動産の値上げに苦しむ庶民の影で、それを操り懐を潤すブローカーや政府の官僚がいて、その巧妙な手口が具体的に描かれる。
 その一人として、政府の土地開発事業に関わり、業者と癒着して甘い汁を吸う政府の官僚が登場する。越後屋と悪巧みする悪代官といった役どころだ。悪代官は明るくて可憐な町娘を手笼めにする。弱者を踏みにじり私腹を肥やすことに一筋の道徳的罪悪感も感じることのない悪代官が、純粋無垢な若い娘に惚れ、金銭的なトラブルに悩む娘を魔法のごとく救う。悪巧みの際の冷たく鋭い目つきと、娘の前で頼れる紳士として振舞う偽善的な優しい笑顔が、なんとも恐ろしい。

 このドラマには社会の様々な層の人々が登場し、それぞれが具体的にリアルに描かれている。そのため、奥行きが深く、視野が広く、見ごたえのあるドラマとなっている。
 それになんといっても役者が上手い。橋田壽賀子顔負けの長ゼリフがしばしば出てくるのに、どの役者も(80前後の老婆役の人ですら!)ごく自然にかつリアルに演技をこなしている。

 全35話のうち、まだ3分の1弱しか見ていない。そのうちに、浮気や愛人の話が出てくるらしい。そういう話にしても、ただセンセーショナルな話題だから人気を呼ぶというわけではないように、私は思う。非道徳的な欲望は、果たして本当に多くの人の本音なのだろうか?むしろ求められているのは、本来の家族間の愛情や道徳であって、ドラマの底流には、利己的でなければ生きていけない社会への憤りが感じられるように思った。

 含蓄あるセリフがたくさん出てきて、感嘆することが多い。次回、ドラマから気に入ったセリフを拾って日本語に訳してみたい。

 Youtubeでこのドラマを見ることができます(中国語)。こちらから。


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