『デボラの世界』ハナ・グリーン著(みすず書房)。
ここ数年読んだ本の中で一番心を動かされた。
十六歳の少女の、三年間にわたる精神病院での生活と、狂気から現実への旅路をえがいた小説(単行本裏表紙の紹介より)である。
ほとんど徹夜で一気に読みきった。デボラは果たして現実を取り戻すことができるのか、祈るような気持ちで読み進めた。
これは小説ではあるが、精神病理学の知見をふまえて分裂病という病気の構造が正確に描かれ、かつ患者本人の視点から彼女の内部に起きている出来事が語られているので、患者を外側から観察する医学書よりずっと生き生きと人間の精神の実態を伝えていると思う。
デボラが現実に戻るための戦いを手助けする精神科医が登場するが、実在の精神科医フリーダ・フロム=ライヒマンをモデルにしたと言われている。
現実の世界はデボラにとって、彼女の自由な精神を絶え間なく圧迫し、静かな死へと導く冥土の世界であった。その中でデボラは自分を守るために、自分だけの精神世界を作り出していく。作り上げた、始めは美しかったその想像の世界にすがることでしか彼女は自分を守ることができなかった。そして、その想像の世界は次第に彼女の現実を侵食し、混乱を引き起こすようになる。彼女は現実から乖離し、実際上の生活を営むことが困難になり、ついには自殺未遂を起こす。
しかし、この行為こそ実は、“生きたい”という彼女のサインであった。両親は自分の娘が普通と違うことを認めたくないために、精神病院へ入院させることを躊躇するのだが、デボラにとって自分の病気は一番身近で明白な現実であるのに、それすら否定される、信じてはいけないと言われる、そのこと自体が彼女にとって行き場を失う耐えられない現実でもあった。
デボラは健康的な生を渇望していたがゆえに、サインを出した。普通に現実を生きることのできない病気の自分を治したいのだと。
現実に戻るためのデボラの戦いは困難を極める。優秀な精神科医の助けがあり、しかも生への希望を失っていない十六歳という若い少女であっても、現実を手に入れることがこれほど大きな努力を必要とする長い戦いであることを知ると、私たちがこうして現実を普通に生きていること自体が、実は奇跡的なことなのではないかと思えてしまう。
精神科医とデボラの母親の間で次のような会話が交わされる。
「…以前に知っていた患者さんで、ありとあらゆる恐ろしい方法で自分をいじめていた人があります。なぜそんなことをするのか、と聞きましたら、『世間がする前に、やるんだ』と言うのです。そこで『世間が本当にやるかどうか待ってみたらどう?』とききますと、『でも結局はそうなるんだ。だから、まず自分からすれば、その時には少なくとも私は自分の自己破壊については主人なのだ』と言うのです。」
「その方は……よくなられましたか?」
「よくなられましたよ。でもあとでナチスにつかまってダハウにおくりこまれ、そこで亡くなりました。おくさま、私がわざわざこの話を申しあげるのは、あなたがどれほど努力されても、最愛のお嬢さんを世間から保護しきることはできない、ということを、おわかりいただきたいからです。…(略)」
……(略)……
「愛だけでは足りませんのね。…(略)…私たちはデボラを愛していたのですが……それでも愛だけでは……この……病気を……防ぐことはできなかったのですね……」
デボラが必要としていたもの、そして学ばなければならなかったのは、おそらく、自分自身で現実の困難に立ち向かう力や方法を養うことであったのだと思う。
次の引用は、デボラと精神科医の会話。
「たやすいなどと言ったことがあったかしら?あなたがご自分で望まない限り、だれもあなたをよくすることはできないし、そのつもりもありませんよ。あなたが力と忍耐の限りを尽くして戦うのなら、ごいっしょに何とかできると思うけれど」
「もし私がしなかったら?」
「そうね、精神病院はいくらでもあって、毎日せっせと新築してるわ」
「では、戦うとしたら、何をめざして?」
「うまい話はないって、去年もおととしも申し上げたでしょう?自分にむかって挑戦するため、自分の誤りを認め、その罰を引きうけるため、愛と健康を自分自身で定義づけるため、人生を生き始めることのできるりっぱな強い自分を築くためよ」
デボラには誤りを認め現実に向き合うことのできる強い母親がいて、デボラ自身の努力を手助けしてくれる経験豊富な医者がいた。しかし、現実の社会には、再生の機会に恵まれないまま闇に落ちていった少年少女が数多くいるだろう。
この本は始め図書館で借りて読んだので、手元に置いておきたいと思ったら、絶版になっていた。それでアマゾンで中古本を購入した。こういう良書が絶版だとは不思議なことだ。
余談。精神病院の中の様子を読んでいて、『カッコーの巣の上で』という映画を思い出した。『カッコーの巣の上で』は原作が1962年の小説で、『デボラの世界』の原著は1964年の発行だった。この時代、アメリカでこういうテーマが流行ったのだろうか。