生き仏

 
  欧米人を始めとする多くの外国人がチベット仏教に惹かれる理由が私にはよくわからない。
 
ある人に聞いたら、こう言った。今、世界で唯一、チベット仏教だけが活仏(生き仏)がたくさんいるからじゃないか?と。生きながらにして人間より一段上の存在である仏になった人間が数多くいるのはチベット仏教だけだ、他の仏教ではそう簡単に仏にはなれやしない、と。
  
調べてみると、活仏は転生によるものだという。「活仏」とは仏の人間世界における化身であって、彼らの魂は永遠に不滅である。一人の「活仏」が死ねば、また別の「化身」が人間界に降臨して众生(しゅじょう)を苦しみから救うという役目を継承する。活仏は童子の頃に、何らかの兆候や印によって転生と認定され、一般の出家の人とは異なる存在となるそうだ。生まれながらに崇め奉られるべき魂を持った特別な人間がいるということと、生きとし生けるものは皆平等であるという仏の教えとは矛盾しないのだろうか。人ではない魂を持っているのだから、そもそもが別格なのだろうけれど。
 
それはともかく、神と人間が隔絶された現代において、チベットでは人の世界を超越する仏の世界がすぐそばにある、或いは二つの世界を行ったり来たりできるという幻想が生きている。その神秘が人を魅了するのかもしれない。

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こうして見ると、やはり多数を味方につける、ということの重要性を思う。そして多数を味方につけるには、その時代において正しく思われること、トレンドな理念を提唱することが必要である。

 

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