工場


 散歩コースの途中に製紙工場がある。いや、あった、と言うべきか。
 
工業地帯ではないこの地区の住人である私から見れば、大きな敷地面積を占める大きな工場だが、業界から見れば中小企業だ。中小の製紙会社は、世間で環境意識が高まるに従って、排水の問題に悩まされてきた。排水を処理するために膨大な設備投資を必要とする。その製紙会社も何年か前に、路地に向かってそこだけ開かれた扉から見える部屋の中に6つほど水槽をしつらえ、水槽の中に魚を泳がせ、如何に排水に気をつかっているかアピールしていた。扉の横には、魚が泳げるほどまでに水を処理してから川に流しています、という説明が書かれていた。そこを通るたびに、私は、そんなに儲かっているわけでもないだろうに、大変な努力をしているんだな、と思った。そんなに努力をしたのに、市から排水を川に流してはいけない、というお達しが出て、ところが下水道を使うととても毎月の使用料が払いきれないので、裁判まで起こして争ったが、結局勝てなかった。
 
その会社が数年前、大手の会社に吸収合併され、その後、工場は操業を停止した。そのまま数ヶ月間野ざらしになっていたが、一週間ほど前、とうとう解体作業が始まった。
 
工場の敷地は高い塀にぐるりと囲まれているが、土手の脇に広がっているので、散歩する土手の上から建物全体がよく見える。大小のタンクや見張り台のような塔、小部屋にはランプやスイッチ、高い煙突が一本、低い煙突が一本、屋根にはきのこの頭のような帽子を持った換気口が並んでにょきっと生えている、太いのや細いのや、いろんなパイプが路地の上を渡ってこちらから向こうの敷地まで続いている。まるで動脈みたいだ。敷地内にはフォークリフトが行き交い、広場には損紙が積み上げられていた。人の動く姿はあまり見かけなかったし、機械の動く音も土手の上までは届いていなかったはずなのに、なんとなく工場全体が低いうなり声を上げて、一つの生き物のようにごとごとと動いているような気がした。
 
その生きてる物音が、ある日突然、ぱたりと止んだ。活動を停止してしーんと静まりかえった工場の横を、私はしばらく、歩き続けた。近所では、跡地には何ができるだろう?ショッピングセンターなんかできると便利でいいね、などと噂した。
 
ただ建っているだけのその姿にも慣れて気に留めなくなったある日、解体作業が始まった。ガラガラ、ガシャーンという音が響いたので、見ると、建物の影にパワーショベルが動いていた。とうとう始まった、と思った。日に日に、鉄くずの山が築かれていく。私とは何の縁もない工場なのに、その姿に胸が痛み、ざわつく。まるで工場が自分の一部であったかのように。
 
跡に何ができるかは、まだわからない。

 

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