減原発の流れはもう決まっているので…

 
 数日前、テレビを見ていて、あれっと思った。
 情報番組の中で、記者が政局について説明するとき、前置きとして
「減原発の流れはもう決まっているので…。」
と述べたのだ。
 へえ?そうなんだ。減原発がもう規定の路線ならば、私はもう何も言うことはないんだけど…。

 振り返ってみると、菅首相は5月10日に、「従来の計画をいったん白紙に戻して議論する」と述べ、昨年6月に閣議決定された原発への依存が前提となっているエネルギー基本計画を見直す方針を表明している。また太陽光、風力発電などの再生可能エネルギーと省エネ社会実現を2本柱とする意向も示した。

 6月2日には国会に内閣不信任案が提出され、否決された。
 この結果は、“管直人首相が民主党代議士会で自発的な退陣を表明したことを受けて、小沢一郎元代表が「首相から今までなかった発言を引き出したのだから自主判断でいい」と支持派議員に不信任案に賛成しないよう呼びかけたため”(産経ニュース)とされているし、その後、どこのメディアも盛んに、退陣表明をした首相がいつまでもやめないのはおかしい、という論調で押していた。
 しかし、いまだによくわからないのだけれども、私が聞いた限りでは、民主党代議士会での菅さんの演説は、決して退陣表明には聞こえなかった。それどころか全く逆で、自分のやりたいことが達成されるまでは絶対やめませんよ、という強い意志表明だと思った。それなのに、マスコミが直後からこぞって、退陣表明だ、退陣表明だ、と騒ぐのが奇異に感じられて仕方がなかった。

 そして7月13日には、記者会見を開き、「将来は原発がなくてもやっていける社会を実現する」と宣言した。(ただし15日の閣僚懇談会で、これは「私個人の考えだ」と説明している。)

 そして、8月26日、菅首相は退陣を正式に表明し、「やるべきことはやった」と述べた。この日、退陣条件としていた再生可能エネルギー固定価格買い取り法と特例公債法が成立している。

 原発事故以降、管首相の脱原発への志向は一貫してはっきりしていて、この流れが決定づけられることこそ、彼の信念であったと思われる。
 とすると、ここまで踏ん張ってきた菅さんがようやく退陣表明したのは、脱(減)原発の流れがある程度方向付けられたからに違いない。

 8月に入って、反原発にしても或いは逆に原発維持、どちらにしても、論争すること自体が下火になっていて、この奇妙な静けさ、沈黙はいったいどういうわけだろう、と不思議に思っていた。私は、もっと盛んに議論してこれからの日本の方向性をはっきりとさせるべきではないか、と憤慨していたのだが、冒頭に書いたような記者の発言を聞いて、天地がひっくりかえったような気がした。事態はいつ間にこんなふうに進んでいたのだろう。
 最近のメディアの沈黙は、反原発論を抑えるためでなく、逆に、せっかく3党が合意したものを寝た子を起こすような論議は避けたいという空気であったのではないか。

 私は菅さんが能力のある政治家だとも、日本のリーダーとしてふさわしい人物だったとも思わない。彼が首相の間、いろんな不都合や不具合が起こっていた。もしかしたらこの時、他の人物が首相だったらいろんな物事がもっとスムーズに動いていたかもしれない。しかし、脱原発への信念は一貫してはっきりしており、その点においては菅首相を高く評価したいと思う。


 私は反原発というのは、方向性や志向性或いは理念の問題だと思っている。未来に向けて敷かれるレールの方角が決まるのならば、それでいい。目指すべき方向がはっきりしていることが肝心だ。
 管さんの後継者として立候補した5人の候補たちのほとんどは、多少の言葉のニュアンスの違いはあるものの、長期的には原発依存から脱却することを目指すが、短期的には安全性を確認しつつ再稼動していく、という考えを示した。29日の代表選の結果、党首に選ばれ、新しい首相の座に就いた野田佳彦氏もこのうちの一人である。
 現在点検中などで停止している原発も安全性がきちんと確認されない限り运転再開に慎重な姿勢を見せた菅さんと比べれば、こういう流れは後退とも言えるかもしれない。しかし一方でより現実的に物事が前へ進むだろう。
 そして、脱原発路線がどんなに後退したとしても、少なくとも、2010年6月に策定されたエネルギー基本計画に記されている2020年までに9基の、2030年までに14基以上の原子力発電所の新増設という目標は完全に過去のものとなった。それどころか、果たして1基だって新増設が可能なものかどうか。福島の事故の記憶がある限り、日本全土津々浦々、原子力発電所を新増設することに地域住民の合意が得られる場所が存在するだろうか。


 

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