本当にこわい放射能と本当はこわくない放射能


 風邪をひいてしまった。
 熱はないけれど、くしゃみ、鼻水、喉の痛み、頭痛、と、風邪の諸症状のオンパレードだ。
 いただき物の国産純くず粉とカナダ土産の蜂蜜におろし生姜を加えて、葛湯を作る。ひとり台所でそれを飲みながら、被災地で風邪を引いている人はどうしているだろうと、思いを馳せる。どんなときでも、体が頑丈でありさえすれば心強いけれど。

 いつもより早めに布団に入り、眠れるだろうかと思ったら、朝までぐっすりだった。薬のせいかもしれない。
 長い夢を見た。6人くらいのグループで田舎へ旅行に出かけた。湖で可愛らしい少女の人魚に出会った。普段、姿を現さない人魚が、私だけにこんなに親しく寄り添ってくれるのは、大変めずらしいことだと、うれしく光栄に思う。
 ところが、旅行から帰って母に写真を見せると、人魚の写真だけが抜けていて、あれは夢だったのだろうか、いや、そんなはずはない、と狐につままれたような気分。その抜けている写真の前後には、一面菜の花の写真が何枚かあった。全面黄色の菜の花の写真は目に鮮やかでとても美しいけれど、構図がいまひとつで、これは私の撮った写真じゃないな、と思う。私ならもっと上手く撮るはずだ。そうか、人魚の写真は、私の撮ったカメラの中にならあるかもしれない。

 朝、起きてみると、原発事故のレベルが5から6に上がっていた。
 一昨日、池上彰さんの原発と放射能に関する特別番組で、専門家が手書きのフリップを掲げながら言った言葉が心に残っている。
 「本当にこわい放射能と、本当はこわくない放射能があります。」
 福島原発の現場には、本当に危険でおそろしい放射能に立ち向かって戦っている作業員や消防の人達がいる。一方で、私たちは、そこから遠く人体に影響のあるほどでない量と継続性があるかどうかもまだ定かでない場所で、本当はこわくない放射能に怯えている。私たちはこわくない放射能に対して、必要以上に不安になることはないんですよ、という趣旨であった。その専門家の方が、自分の持っている専門知識に基づいた判断を、一所懸命、诚実に言葉をつくして多くの人に伝えようとしている様子に、心を打たれた。
 消防隊員や警察官、各市町村長など、実際に現場で動いている人たちと同様に、こんなふうにそれぞれの場所で自分の責務だと心得ていることに忠実に一所懸命尽くしている人達がいると思うと、本当に頭が下がる。
 本当は、こういう説明を、日本の首相が国民に向かってやらなきゃならないんじゃないか。情報公開というのは、ただ生の情報をそのまま伝えればいいってものじゃない。的確な情報を、的確な時に、的確な説明を伴って流すべきである。それによって、国民を安心させ、力づけなきゃいけないんじゃないか。ただ人心を不安に陥れるだけの発表に何の意味があるのだろう。

 しかし、これだけの頼りない政府の元で、これだけの秩序と規律が保たれる日本人というのは本当にすごいと思う。他の国だったら、とっくに大パニック、大混乱になっていてもおかしくないと思う。
 夫に、
 「ねえ、すごいよね。これだけ冷静なのって。」
と言うと、
 「そもそも日本人が素質に優れているのと、それから経験があるからじゃないかな。」
 「経験って?だって、戦後何十年もの間、日本は平和で、危機管理が甘いって。」
 「原爆を受けたことがあるのは日本だけだよ。」
 「でも、それってもう昔のことで…。」
 ああ、でも、そこから日本が出発してここまできたのは、確かに日本人みんなの記憶の底にあるのかもしれない。それに、阪神大震災の経験も。

 実は、本当に本当のことを言うと、私は放射能が怖い。いくら専門家が、本当はこわくない放射能に対して“必要以上に”怯えることはありませんよ、と力づけてくれて、勇気づけられて、気持ちが落ち着いたとしても、私はやっぱり怖い。

 放射能に対する漠然とした私の不安は、死という概念に対する漠然とした恐れに似ている。
 それは、どこか遠くから風に乘って刻々と私に近づいてくる。目に見えず、体に感じず、それが、いつ私の元へ到達するのかわからない。けれどそれは、大気に潜み、水に溶け、食物に混じり、私の知らないうちに、少しずつ、私の体に浸透していく。
 …
 小人閑居して不善を為す。こういうろくでもないことに考えをめぐらさずに、しっかり休んで、まずは風邪を治して健康を取り戻そう。

 おやすみなさい。

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